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CHENGDU, CHINA
Report No.2


中国・成都で


Story of 27 October 2007

なかなか日本に帰れない

というわけで、この旅日記後編も一挙に帰る日となる。

中国・成都のホテルから、北京経由で東京に戻るまでの経緯は、是非ここで皆様に報告したいものであった。

まず成都から北京に飛んで、北京から成田往きのフライトに乗るという経路なのだが、ホテルでその朝 (10 月 27 日)、出発の直前 TV を見ていると、驚愕の事実が判明した。なんと前日まではカゲもカタチもなかったはずの 「台風」 が日本近辺で発生している。そして、まさにその日、夕方から夜にかけて千葉県成田地方を直撃するいうの情報なのである。

それで成都 「国際」 空港に少し早めに行き、台風の情報を収集しようとした。が、まったく英語が通じない。

しかたないので

「我聞、日本東京大雨大嵐。我請、情報。航空機東京飛行可能 ?」

と紙に書いたものを作り、中国国際航空の係員に見せた。それでようやく当方の質問内容は係員によって理解されたようだ。しかし質問は理解されたが回答は 「知らない」 というだけのものである。

つまり遠い日本の台風に関する情報など、何も関係ないという態度である。なにしろ、ここはこの中国の奥地成都なのだ。

まあしかし、とりあえずは北京に向けて飛ぶのであった。

さて北京国際空港につけば、さすがに日本の成田方面における台風に関する情報があるかと思ったのだが、北京でも全く情報がない。

しかしそこで落ち着いて冷静に考えてみる。ここまで来ると、情報がないこと自体が良い情報という見方もできる。つまり成田行きの飛行機が欠航するというような情報がないというのは、全て平常通りにモノゴトが進んでいるらしいと理解しても良いのではないか ? いうことである。

そして、台風来襲に関する情報が何もないまま、普通に搭乗のアナウンスがあり、飛行機へとのりこむのである。搭乗直前に日本に電話して情報を収集した人によると、台風は思ったほど強くないとのこと。

事態は徐々に楽観的な方向になっていくのであった。

しかしそうは問屋がおろさなかった。

飛行機が動かないのである。そのまま、もう少し機内でまてとのアナウンスがある。仕方なく、そのまま機内で待つ。一時間経過。

すると …

機長から 「出発しようと思ったが、成田空港の天候が悪いことがわかった」 とのアナウンスがある。「何で、それが今頃わかるのだあ」 と思わざるを得ない。が、更に待つ。また一時間ほど経過。再度機長からアナウンスがあり、いったん降りてください、と言う。しかたなく飛行機から待合室に戻って待つ。

待合室で更に二時間経過 …

ようやく状況がはっきりする。

とにかく今日は成田方面へは一切、飛行機は飛べない。成田空港も受け入れない。台風は今夜通り過ぎるので飛行機は明朝には飛べるだろう。既に荷物を預かっているが、今は返さない。なぜならば、フライトはキャンセルになっていないから。欠航ではなく、遅延 (十何時間かの) という扱いとなる。今夜の宿泊先は、現在中国国際航空が手配中。もう少ししたらバスで出発できる、というような中国語での説明があった、ということを日本語ができる中国人のツアコンが、団体客に説明しているのが聞こえてくる。英語での説明はない。このあたりの情報も、そのツアコンが強硬に中国人係員にかけあった末に仕入れてきた情報のようである。さすがは中国国際航空というべきであろう。すでに夜 9 時である。

そういうわけで中国国際航空が用意してくれたバスにのってホテルに向かう。

しかし、10 時過ぎになってようやく着いた場所は、どうみても 「ホテル」 ではない。確かに宿泊施設ではあるが、玄関にホテル名などはない。代わりに 「中国政策科学研究会」 と書いてある。中国政策科学研究会関連の研修施設のようである。ここでどんな会議ないし議論がなされるのか興味があるが、いずれにしても他の宿泊客はない。ゼロである。全員で受付に行くと部屋割りがあり、二人組で一部屋にさせられる。同じ国際会議に出た知り合いの日本人が同じ飛行機にいたのは幸いであった。そういう人がいなかったら、見知らぬ中国人と強制的に同室にされたところであった。

さすがは中国国際航空。


なぞの宿泊施設の入り口で

さて、そういうわけで部屋に通される。

次なる問題が発覚する。部屋の暖房が全く効かないのである。そもそも、本日、お客が来るなどということを全く想定していなかったという雰囲気である。そこへいきなり押し掛けたので、暖房の準備がしてなかったようだ。寒い。推定気温摂氏 15 度というところ。また、暖房が効く前提の部屋なので、ベッドには毛布しかない。さらに、飛行機に乗る前に預けた荷物が戻ってきていない。要するに着のみ着のままである。きているものはスーツ。これで寝るわけには行かない。やむなくスーツはハンガーにかけて、下着だけで寝るが非常に寒い。

風邪をひいてしまった。

それが土曜日の夜。

翌朝 5 時、とつぜん電話がかかってきて起こされる。出るといきなり日本語で話す人がいる。5 時半にロビー集合と告げられる。どうも、例の日本人団体旅行のツアコンの方が団体以外の日本人への連絡係も買って出てくれたようであった。このツアコンの方に感謝せざるを得ない。言われたとおり 5 時半にロビーに行くとバスがきて、それにのって北京空港へ移動する。朝食などというものはない。北京空港でやはり何時間も待たされる。

このあたりもさすがは中国国際航空という以外ない。

まあしかし、最終的には北京空港から飛行機は飛びたった。そして、無事帰還したのである。

しかし帰ったらもう日曜日の夜である。しかも風邪を引いてしまった。微熱。しかしその翌朝、月曜日はまた別の出張の予定がある。ドタキャンするわけにも行かず出発。しかも発熱のまま。という苦難の日々でした。

では。

後記:この苦難の旅に関して、ひとつ良いことがあった。成都でモノクロフィルムで撮影した写真がフォトコンテストに入選したのだ。


中国・成都の印象。この写真がフォトコンで入賞しました

使用撮影機材 : Leica M2, GR Digital