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OTTAWA, CANADA
Report No.1


オタワに向かう途中、米国・デトロイト空港にて夜明けを見る


Story of 24 May 2004

なかなかオタワにつかない

海外出張の前後は非常に忙しい …

何かと忙しい日々のなかで、さらに無理矢理に仕事を前後の週に押しのけて一週間の隙間を作るのだから、まあそれもやむを得ない。

本来は、海外出張とかいうものは、十分な時間の余裕をもって旅行の準備を万端整えたいものである。さらに現地での仕事の用意をカンペキにした上で、体調などをじっくり整え、出発前日には沈思黙考し精神統一の上、当日の朝 「いざ往かん」 などといっておもむろに旅行鞄を片手に出発する、というのが理想である。が、しかししかしなかなかそうは行かない。

で、どうなるかというと、だいたい出発直前の最後の夜遅くにアタフタしている。夜も更けて 10 時半頃、自分しか残っていないオフィスで、人に頼んで手配してあるはずの航空券とホテルの予約を確認するという事態になるのである。

… 思い起こせば、2003 年にドイツの 「デュッセルドルフ」 で開催された展示会に行った際は、それで大失敗をしてしまったのである。

そのときも、いつも通り ? 出発前夜の夜 10 時半にアタフタと航空券とホテルの予約の確認をするというダンドリになった。

航空券は ? と、まずは航空券を確認する。これは旅行会社に、成田空港からフランクフルト経由ででデュッセルドルフ往きの便の予約を頼んであったのが、確か先日届いていたはずだ。予定通り、明日の便で成田から、デュッセルドルフ空港までのチケットがある。よし ! 20:30 に到着という遅い到着なのがいまいちであるが、デュッセルドルフ空港は、市内中心に比較的近いので、空港からホテルまでタクシーを使用すれば良かろうと思ったのである。

で、ホテルは ? と、次にホテルの場所を確認するのである。よし予約が入っている。場所は ? 場所は ?

xxx 通り何番地、ケルン。

ケルン ?

これをご説明すると、こうなる。展示会の開催地はデュッセルドルフである。しかし、ホテルはケルンである。空港から向かうのは展示会の会場ではなく、ケルンのホテルである。

そういえば、展示会期間中はデュッセルドルフ市内のホテルを確保するのが難しくて … というメールが入っていたのをうっすらと憶えている気がする。それにしてもケルン。

ちなみにケルンとデュッセルドルフはそれほどには近くない。鉄道で約 1 時間ほどはかかる距離関係だ。そしてケルンには 「ケルン・ボン国際空港」 という立派な空港がある。ケルンに向かう旅行者は、ふつうはそちらを利用するのである。というのも 「ケルン・ボン国際空港」 のボンは、ご存知の通り、西ドイツ時代はドイツの首都だったのである。それで、そちらのの空港のほうが圧倒的にメジャーなのである。それを何の因果で地方空港であるデュッセルドルフ空港へ向かうのであろうか ?

さすがにこれではデュッセルドルフ空港に到着後、ではタクシーで、というわけには行かない。何とかしてドイツ鉄道に乗り換えて、1 時間ほどかけてケルンに移動し、そしてケルン駅から更にホテルに移動する … ということにするしかない。どうも気が重い。が、それがわかったのが出発前夜の 11 時では如何ともし難いのである。

まあそのときは結局、深夜に近い時間にようやくホテルにたどりついたのである。

さて、それは前回のオハナシ。

かかる教訓を生かして今回は準備万端、となるとよかったのだが、なかなか思った通りに行かないのがこの世の常。今回もまた夜の 10 時半、もう誰もいないオフィスでホテルの確認をするのであった。

しかし今回のホテルは、有り難いことにオタワ市内であった。それもかなり市内中心部に近い。ホテルへのアクセス方法がインターネットの HP ではわかりにくく若干あせるが、空港から直接タクシーにのってもリーズナブルな範囲であるらしい。

というわけで、まずまずの滑り出しである。

と思いきや、今回は、前回を更に上回る悲惨な運命が待っていたのであった …

さて、極めて長いマエフリのあとで、いよいよここからが今回の旅日記である。5月 23日の 16:00 に成田空港でノースウェスト 12 便にのりこみ、まずはデトロイトに向かうのである。デトロイトでオタワ往きのノースウェストにトランジットをする予定である。

5 月 23 日の 14:30 にデトロイト空港に到着。さらに 16:40 ころ、デトロイト発オタワ往き、ノースウェスト 5848 便にのりこむ。

「さあいざ往かん、オタワへ」 と思いきや、そうは問屋がおろさない。

そのままで 30 分経過する。なぜか飛行機はゲートにとまったまま動かないのだ。雨が降り出し、徐々に強くなっていく。というあたりで、「雷雲が空港に近づいているという予報があり、10 分か 20 分くらいで通り過ぎるようなのでそれを待って離陸します」 という機内アナウンスが入る。


デトロイト空港。雨が降り始めた・・・

その 10 分後、まさに 「一天にわかにかき曇り」 という表現通りのまっくらな雲行きとなり、落雷、そして豪雨。それが 30 分ほど続く。18:00 ころ、何とか、豪雨が、ちょっと強い雨降りという程度になるが、まだ飛行機は動く気配がない。ゲートに止まったままである。どうしたのだ ? と思っていると、再度、機内アナウンスがあった。

「落雷があまりにひどかったので、管制塔のスタッフが避難してしまいました。困ったことに、まったく応答がありません」

とのこと。

で、その状態で待つこと一時間。19:00 ころ、ようやく飛行機がゲートを離れて動き出す。19:30 に、しかしまた、離陸準備の体勢で止まってしまう。

20:00 ころ、再度機内アナウンスが入る。「さきほどのストームがまだ近くにあるようで出発許可が出ません。ちょっと時間がかかるかもしれないので、シートベルト着用のサインを一旦、消します」 との機長のお言葉である。と、言われれば待つしかない。

その状態のままで約三時間経過 …

オタワ到着はかなり遅くなりそうだなあ、と思っていたら、そこでようやく消えたままのシートベルト着用のサインが再び点灯した。そしてエンジンの音が高まり、続いて機内アナウンスがはじまった。

「本フライトはキャンセルになりました」

が〜ん。もう 23:00 だ。そしてそして、ようやく飛行機はそろそろと動き出すのだった。しかし、もちろんそれはデトロイト空港のゲートに戻るためである。そして空港のコンコースは、その頃には欠航続出で大混乱となっていた。

代替のフライトの航空券を出してもらうためにノースウェストのカウンターへいく。しかし、すでにもう何人も並んでさかんにもめている。もめている内容を聞くと、航空会社は 「これは天候が理由なのでウチの責任ではない。航空券の振り替えはするがホテルのバウチャーは出ません」 という冷たい態度なのである。しかしそこで、前に立っている2人組がものすごく文句をつけている。曰く、その人は本来、もう一本前のオタワ往きの予約をしていたのだ。しかし航空会社のミスでオーバーブッキングとなった。そのため、ボランティアで一本遅らせて協力してあげたというのだ。

結局、航空会社の係員が上司を呼び、上司と相談の上で、わかりました、そういう事情では仕方ないです、ということでホテルのバウチャーを出すことになった。

さて、その人の次に並んでいた人にもノースウェストの係員が 「あなたもですか ? 」 と聞く。「はい、私もです」 ということで、その人にもホテルのバウチャーが出た。その次が自分のばんである。「あなたもですか ? 」 と聞かれた。で、もちろんきっぱりと、 私もです ! と言う。それで、首尾よくホテルのバウチャーが出たのであった。

… どうも、今回の旅日記は、なかなかオタワに到着しないので申し訳ない。しかし、実際に、なかなかオタワに到着しない旅であり、仕方ない。一見、首尾良くいったホテルの件も、そうそううまくは行かないである。

一言で言うと、バウチャーをもらったホテルに、上記の大文句を言ったカナダ人が電話してみたところ、そのホテルが言うには 「全室満員で使えない」 とのことなのである。納得し難いことだが、どうも航空会社がバウチャーをくれるかどうかということと、部屋があいているかどうかは全く別な事象であり、部屋が空いてなければ泊まれないものは泊まれない (まあ、それはそれであたりまえだが)、ということをホテルが説明しているようだ。

仕方なく別のホテルにも電話するのだが、どこも満員である。

このあたりの背景は、こういうことである。どうも、他のフライトはもっとさっさと欠航を決めたようである。我がフライトは、何とか飛ぼうとして 4 時間半も粘ったのだ。しかしそのぶんだけ、他のフライトの人々に比べて出遅れた形となってしまったようだ。

翌日のオタワ便もすべて満席だし、ホテルも満員でダメ。というあたりでもう午前 0:30 である。結局空港で一夜を明かす以外のオプションはないのであった。


デトロイト空港の床に座り込んで夜を明かした乗客 …

早朝、空港が寒いので寝られないなか、早番の係員が空港に出勤してくるのを見る。カウンターが開いたので、朝のフライトでニューヨークへ飛ぶためにチェックイン。その後、デトロイト空港で、日の出を見ることになる。(それがトップの写真)

6:30 に、一旦、ニューヨークへ飛び、そこで乗り換える。今回は順調である。そして 9:30 にようやく、何とかオタワ往きの飛行機は飛び立ったのであった …

まだ現地についていないのだがオタワ旅日記の前編はここらへんで終わりとなる。

ということで Report No.2 へつづく …