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SAUDI ARABIA
Report No.1


サウジアラビアの風景


Story of 27 November 2010

サウジアラビアへの困難な道

それは、サウジアラビアからサーレフ博士という方が来日されたことがきっかけであった。

そしてその際、自分が東京を案内することになった。そのサーレフ博士こそが、今回、サウジアラビアで開催された会議を主催する当事者なのである。その際、流れで、まあ是非ともその会議に参加してくださいという発言があり、そういうことなら是非参加させていただきましょう、ということになったわけなのだ。

というわけでサウジアラビアへ行くことになったら、次に何をすべきか ?

ビザの取得である。

つまり、日本人がサウジアラビアへ行くにはビザが必要である。しかし、まあ短期訪問ビザの取得くらいはたいした問題ではあるまいと甘く見ていた。なにしろ、今回のサウジ行きの目的は、サウジアラビア政府主催の国際会議なのだ。その招待状もある。その招待状をもってサウジアラビア大使館へ行って、パスポートを提出して、簡単な手続きをすれよいだろう、と軽く考えていたのである。

しかし、さように甘いものではなかった …

そもそもサウジアラビアという国は、例えば、非イスラム外国人の個人旅行のためのビザ取得というのが事実上不可能なほど、ビザ取得が難しい国であるということを知らなかったのである。

サウジアラビア政府の招待状があるくらいでは、ぜんぜん駄目なのだ。

ビザ取得に必要ないろいろ書類が指定されているのだが、その中には 「日本の商工会議所が承認した推薦状」 というものまである。さらに必要書類が全部あるとしても、ビザの申請は個人ではできない。つまり、サウジアラビア政府が認めた資格のあるエージェントを通さないとビザの申請ができないのである。

というわけで …

必要とされるいろいろな書類をかき集めて、パスポートを添えてサウジ政府認定代理店経由でサウジアラビア大使館に提出したのである。

それで一安心 … と思ったら、そうはいかない。

エージェントから連絡が入り、いまは、イスラムの教えにより、サウジアラビア国は神聖なる休息期間中であることがわかった、とのこと。それはつまり、ビザを発行すべき、在日本サウジアラビア大使館も休息しているということである。それやこれやで、ビザのスタンプの押してあるパスポートが戻ってきたのは、実に出発の二日前というきわどいタイミングであった。

さてそれと並行して航空券の手配をする。

サウジアラビアはアジアかヨーロッパか ? といえば、アジア地域ということになるだろう。地理的にヨーロッパよりかなり近いはずである。成田空港からサウジアラビア行きの飛行機に乗ってくつろいでいると、ヨーロッパに行く時間の半分くらいの時間でサウジアラビアの空港に到着、というようなイメージである。

しかし、さように甘いものではなかった …

まず直行便はない。

また出発日にもよるのだが、乗り換え便もなかなか良いルートがない。旅行会社にいくつかオプションを提案してもらったのだが、そのなかにはフランスの首都、パリのシャルル・ドゴール空港までエールフランスでまず行って、そこで乗換えてサウジに向かいなさいなんていうルートも現実的なオプションであったくらいだ。

種々検討の結果、結局、それが一番安いという極めて説得力のある理由で、航空会社はキャセイを選択する。しかしそれは、二回の乗り換えを要するルートである。そして、出発から到着までの所用時間は、なんと 19 時間なのであった。

ヨーロッパへ行くよりよほど大変なのだ。

というわけで成田空港を飛び立つ。そして 19 時間。香港とバーレーンの空港にそれぞれ着陸してはまた離陸して、ようやくサウジアラビアの首都、リアド空港に到着することができたのだった …


Story of 28 November 2010

サウジはカメラ禁止 ?

さて、前夜遅くサウジアラビアの首都、リヤドに到着して一泊した翌朝である。

時差で早く起きたので、カメラをもって早朝散歩にでかけることにする。

さてリヤドの街はどんな街か ? 一言でいうと、アラビア半島地域への旅行者が期待するような伝統やロマンなどはまったくない都市である。その理由は簡単で、リヤドという都市はサウジアラビア国の政策により、数十年前に人工的に建設された首都機能都市なのである。

特に、ホテルの近くで撮影した下の写真などはどうだろう ? 「アラビアのロマン」 というより、手前の道路標識がなければ、そのまま 「USA のウェストコースト」 という雰囲気ではないだろうか ?

そしてこの街は、この写真からも想像できるように基本的に、USA 的な 100% クルマ社会の街である。なので散歩も大変だ。例えば、ホテルの前の通りをなかなか横断できない。自動車専用道路ではない。単なるふつうの大通りなのだが、左右を見てもずっと信号も横断歩道もないのだ。

まあ、裕福な国で、国土がかなり広く、かつガソリンがとてつもなく安いので、かような次第になるのであろう。


ホテルの近くで。いかにもクルマ中心の雰囲気

さらにそれとは別に、サウジアラビアでは、かようなカメラ片手の朝の散歩における大きな問題もあるのだ。

サウジアラビアのガイド本を読むと、サウジアラビアはイスラムの戒律を厳格に守る国と書いてある。たとえば女性の格好にしても、必ず手首、足首まで隠れる黒い服を着用し頭にベールをかぶらなければならないのである。これを外国人女性も強制し、倫理警察というのがあって、街角で取り締まりもしているのだ。

さらに、イスラムの教えによりお酒は禁止である。イスラム国家でも、その中には自国民は禁酒でも、外国人は大目に見るところもある。しかし、サウジアラビアでは、国民も外国人も同様に、飲酒はぜったいにダメ ! なのである。もちろん豚肉も禁止。レストラン等での男女同席も禁止である。というわけで、なまめかしいお姉さんが接待して、お酒を飲ませるお店など、ここには絶対にありえないのだ … まあそれはどうでも良いけど。

話はそれるが、以前にサウジアラビアに行った人の話でこういうことがあった。

サウジアラビアで、現地の人に 「ダンスが見られるレストランがあるからディナーに行こう」 とさそわれたそうである。そして 「ダンスが見られるレストラン」 に行ったら、なんと全員オトコのダンスだったそうだ。

しかしそれは良い。

問題が何かというと …

「偶像崇拝」 を嫌うイスラムの教えにより、街角での写真撮影は 「実質的に禁止」 とガイド本に書いてある ! ではないか。正確には、倫理的あるいはテロ防止のため撮影してはいけない被写体がいろいろ法律で指定されているということだ。例えば、イスラムの倫理面では、女性が街角でのスナップ写真に写り込んではいけないし、治安面では王宮や軍事・治安用施設とかが禁止被写体となっている。

さらに重要なことは、ただ単にそれを法律で禁止しているというだけでなく、そういうことを取り締まる係の人が街中にうようよいるということだ。

外国人には、どれが撮影禁止建築物かの見分けがつかないので 「街角での写真撮影は実質的に禁止」 と考えた方が良いということである。

これは痛い。

ということで、非常に気を配りながら散歩中、何枚かの無難な写真を撮影。しかし、写真としてどうもいまひとつ迫力に欠けるのであった。


リヤド市の街角で


これもリヤド市の街角で

上は、禁止被写体でないが故に、なんだか迫力にかける写真たちである。

さて …

この日から会議に出席する。いろいろな議題があり、いろいろな討議があったが、そのへんは一切省略。

会議場で印象に残ったのは、日本からの出席者の座る位置を示した Japan の表示である。その表示のすぐ前に (たまたま) 座ったのだが、その表示物が、意味なく必要以上に大変にゴージャス ! なのであった。

まずは、美しいクォリティの金色のメッキである。文字や模様は単なる印刷ではなく、立体的に掘り込んで、色を入れている。さような金属のプレートを、所定の形状に切り抜いた1センチ厚のガラス板をはさむように配置している。さらにそして、それをこれまた、とても立派な木製の台座の上に乗せているのである。国際会議で参加者の場所を示すプレートなどは一回使うだけのものだろうし、汎用の透明プラスチックの三角形の表示物に紙をはさむくらいでも問題ないものである。いったいこれは、誰が設計して、原価はいくらかかるのだろうか ? と考えてしまうシロモノであった。


これがその表示のアイテム

さて会議終了後、会食までの時間を利用して、主催者のはからいでリヤド市内の博物館の見学に連れていってくれることになっていた。

ただしその博物館へ行く途中で、さらなるトラブルがあったのだ。なんと乗ったチャーターバスが接触事故を起こしたのである。接触した相手は何かの道路わきの構造物で、またバスの走行自体には支障がなかったのだが、その瞬間は 「ガン」 というかなりの衝撃で、乗客がいっせいに 「おおお ! 」 とどよめくくらいの迫力はあったのである。そして博物館に到着して、いざ降りようとしたところで、バス車体の思わぬダメージが明らかになった …

ドアが … あかない !

右前部の乗降ドア部がぶつかったためのようである。まあ、非常口があるバスだったので、まったく降りる方法がないわけではなかったのだが。


ドア付近がへこんだのを見て落ち込む運転手

博物館に入ると、意外なことにここは写真撮り放題である。フラッシュもぜんぜん OK。まあサウジアラビアの写真禁止条項の主眼は、イスラム倫理保護およびテロ防止である。博物館展示物という被写体は (宗教に関係なければ) 、イスラム倫理上も、テロ防止上も、サウジアラビア人的には写真に撮っても問題ないのであろう。

写真が撮れないフラストレーションを解消するようにばしばし皆さん撮影する。


リヤド市の博物館のなかで撮影

その晩は、会議参加者による会食であった。焼いた牛肉や羊の肉、あるいはシーフードを串にさして、焼きたてのを持ってくるという料理である。焼きたての車えびがおいしかったので、ついつい食べすぎてしまうのである。

さて非常に満腹になったので、先にホテルに帰ろうかな … などと思った、まさにそのとき、目の前の空いていた席に遅れてやってきた人が、どんと座ったのである。それが、なんと前述のサーレフ博士であった。主催者兼ホスト役である。さっそくウェイターを呼びつけて、テーブルにあれももってこいこれをもってこいと言いだすのであった。そして、あれよあれよという間にテーブルの上はごちそうの山状態となってしまうのであった。そして、なに遠慮してるのだ、もっと食え食え食えというのである。そしてもちろんそこは、後からではあるにしても彼が主催者として座った席である。

行きがかり上、非常に断りづらい展開となり、苦しくなるほど食べてしまうのであった。そして今さらながら想像したくないことだが、もし、そのままサーレフ博士が居座って、もっと食え食え食えと言い続けていたら、実に大変な事態になったところであった。

しかし幸いなことには、サーレフ博士は大変忙しい方であり、もっと食え食え食えと言う間にも、彼の携帯電話がたちまち鳴り始めるのである。ほぼ三分おきに携帯に電話がかかってきて、会話が中断する。

五回目くらいに、ちょっと失礼と行って立ち去ったまま帰ってこなかった …

なので、テーブルの上のごちそうの山には大変申し訳ないことながら、そのへんで会場を抜け出して、ホテルに退散することにする。

というところで Report No.2 へとつづく …