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TURKEY
Report No.1


イスタンブールの風景


Story of 10 April 1999

とんでイスタンブール !

こちらのページでは、医療機器の品質や安全に関わるお仕事 (本業です) であちこちの国へ行く中で見聞したあれこれの中から、有益な情報はいっさい排除し、まったく役に立たない取るに足らぬエポックのみを厳選し、写真つきでまとめたレポートを紹介しております。

そして、その第一編は 「トルコ訪問」 編となります。

* * *

トルコ航空の飛行機が関空を飛び立って 13 時間。飛行機の窓の外を見ると、イスタンブールの街並みが広がっていた。

日本では 3 月末から 4 月初めの時期は 「期末期初」 ということになっている。この間、ふつう日本人は多忙である。が、外人さんはそんなことは知らないか、あるいは知っていても気にしない。「気候が良いから」 とかそういう軽い理由で、国際会議を、この忙しい時期に設定する。

今回も仕事が忙しくて走り回っているうち飛行機に乗る日になってしまった。

睡眠不足のままとりあえず切符とパスポートを持って飛行機に乗り込んで寝ていたら、いつのまにか窓の外は …

♪ とんでイスタンブール ♪

なのであった (古いぞ)。


というわけでイスタンブール空港に到着

というわけでイスタンブール空港へと到着する。日本ではトルコ通貨を入手できなかったので、到着後、まずは空港の銀行で両替することにする。とりあえず 1、2 日分、という感じで US $150 を両替窓口に差し出した。

すると … 何と、56,000,000 リラの札束が。

ざっと計算すると 3000 リラでやっと 1 円そこそこというところである。やたらケタの多い通貨の国は他にも経験があるが、それでも 6000 万近い金額の札束を財布に入れるというのは初めてである。非常にリッチになった気分になるのであった。


これはすごい。数千万リラの札束だ

さて空港から出てタクシーをつかまえる。ばんばんパッシングしながら高速の中央車線を大爆走するタクシーでホテルへ到着する。

ついたホテルは、アメリカなどでよくあるような、都市中心でなく郊外の土地の安いところに駐車場をたっぷりとって作ったという感じのところなのであった。まだ寝るには早い時間なのでちょっと外を散歩してみたいとも思うのだが、こういうつくりのホテルはだいたいクルマで来るのが前提になっている。またそれ以前に、もう夜でくらいし治安状態が不安ということもある。だから結局、ホテル内でめしを食って寝てしまうしかなかったのであった。

であるがゆえにこういうのは 「幽閉型」 ホテルと呼んでいる。ホテルのベランダから遠くに夜の海が見えるのでしばらく眺める …


Story of 11 April 1999

イスタンブールのキムタク

朝になって調べたら、昨晩ホテルのベランダから見た海は 「マルマラ海」 であることがわかった。

さて本日は、午後早い時間の飛行機で今回の会議場があるイズミールという町に飛ぶ予定である。 しかし、空港にタクシーで向かうまえに三時間くらいあるので、それが今回の旅行中イスタンブール市内を見て回ることができる唯一の勝負のときであった。

朝、何としてもこれだけは是非見たいと思っていた 「ブルー・モスク」 に開館の 9 時にあわせて飛び込む。


スルタン・アハメット・シャミー。通称ブルー・モスク

まだ朝はやいので人影まばらであり、礼拝堂にも誰もいなかった。ブルー・モスクの由来となった、青いモザイクを張りつめた暗い礼拝堂のドームで、しばし立ちつくす …


ブルー・モスク内部の礼拝堂にて …

しかし時間がない !

すぐきりあげてアヤソフィア (元キリスト教の教会の建物で今は博物館) へ。それを見た後、グランバザールへと回る。が、ここは日曜日で閉まっていた。

それにしても、こういう観光スポットを巡る道を歩いていると、何というか、要するにトルコという国では、路上販売員 ? の方々が非常に多いのに気づく。

これにはまいった。何しろ時間がないから。

最初の一人は 「アー・ユー・ジャパニーズ ? 」 と話しかけてきたのを 「NO ! 」 と言ったきり足早に振り切った。しかしその後も、路上で営業している数え切れない人々が次々に話しかけてくる。それを振りきるため足早にせっせと歩くとすぐ道に迷ってしまうので閉口する。地図を見ている閑がないからだ。しかしこっち側の事情としても、みなさんを相手にしている時間的余裕がないのだ。

しかし信号待ちでとつぜん、何人めかのオトコが

「ワタシハー、トルコノー、キムタクデース ! 」

と明るく言いはなった際には 「キムタク ? 」 とついのせられてしまった。

「じゃあ写真撮っていいかい ? 日本で皆に見せるから」 というと 「もちろん OK」 とのことなので、トルコの自称キムタクの写真を撮る。


こ、これがトルコの自称キムタクくんだ

すると、キムタク君 「君は写真が好きみたいだな ? 僕もすきだ。日本のカメラを使っている。僕にも君の写真を撮らせてくれないか。いいだろう ? カメラはすぐそこのうちの店に置いてあるから、そこで一緒に写真を撮ろう。一緒に来てくれるだろ ? 」 という鋭い論理展開をした。

そういう展開で、ついつい彼のトルコじゅうたん屋につれて行かれてしまったのである。記念写真を撮りチャイ (トルコ紅茶) が出てきたので、しばし日本とトルコのカメラ事情などについて談笑する。結局、イスタンブール市内滞在予定時間 3 時間余りの中の貴重な 45 分くらいをそこで使ってしまったのであった。

まあ、まんまとキムタク作戦に乗せられてしまったわけである。が、それでじゅうたんを買ったわけではなく、記念写真を撮って、チャイを飲んで、しばし話し込んだだけで店を出てきてしまったのだから 「商売の妨げをしただけ」 という気もするのであった。

さて閑話休題。

そのむかし、何かの映画で 「君は、ボスフォラス海峡を見たか ? 」 という名セリフがあった。

この言葉を聞いたその瞬間 「おお、そのボスフォラス海峡とやらを、自分もいつか見たいものだ」 と痛切に思った。この、なぜだか非常に印象的なセリフを聞いて、そう思わない人は少ないのではないかとも思う。

もう少し後で、ボスフォラス海峡が、地理的にヨーロッパとアジアを隔てている境界であると知ってからは 「アジアとヨーロッパが一望に見渡せる場所」 という違う意味で興味を引かれるようになった。

そのボスフォラス海峡がイスタンブール真ん中を横切っているのである。行かねばならない。


君は、ボスフォラスを見たか ? Yes !

で、ボスフォラス海峡を見に行ったら時間になった。タクシーにのりホテルで荷物をひろって空港へ。

というところで Report No.2 へと続く …


後記: 「君は、ボスフォラス海峡を見たか ? 」 という名セリフが登場する映画は、五木寛之原作 「四季・奈津子」 だというご指摘をいただきました。