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TURKEY
Report No.2


イスタンブールの風景


Story of 11 April 1999 (evening)

タクシー代が !

さて、イスタンブールを飛び立った飛行機は、夕刻、イズミールという地方都市の空港へと到着したのであった。

空港を出てタクシーを拾い、国際会議の開催されるホテルへと向かう。さて、ホテルについたら、タクシーのメーターはなんと ! 「467 万」 という金額を表示しているではないか !

しかたがないので 500 万を出し、チップとして 33 万運転手にあげて降りた。

非常にリッチな気分である。


Story of 12 April 1999

ISO の会議

さてこの日から仕事が始まり、会議場で連日、白熱の議論をたたかわせることになるのである。というわけで、会議が始まるにあたり、まずは会議室にカメラを持ちこみ、とり急ぎ何枚か写真を撮影しておくのであった。


ISO/TC210 会議のもよう

撮った写真の中にこういう被写体のものがさりげなく混ざってないと、日本に帰ったあとで 「何だ遊んできただけか」 と簡単に片づけられてしまったりする。

目的は、観光ではないのだ。(たしかそのはずだ)

といいつつも。

12 日の夕方は、主催者団体のハカライでクルーズ船に乗り込み、エーゲ海に沈む夕陽を眺めるのであった …


夕暮れのエーゲ海は人々を魅了した


Story of 15 April 1999

歓迎会のはなし

さてイズミールで会議が始まって早くも四日めである。この日の会議の後は、市内を散歩して回ることにする。

路上で骨董品を売っているおじさんのたたずまいが渋い。


イズミールの街角で。路上骨董品店の老人

その後、夜は歓迎会なのであった。会議場のあるホテルからバスに乗り込み、メンバー全員で郊外のレストランへと向かう。


イズミール郊外のシーフードレストラン

レストランではとなりに中国から来た男女が座ったので、しばしメモ用紙に筆談で冗談を書きあってコミュニケートする。

そのうちに、やがて宴もたけなわとなった。そこで 「ここはひとつ余興に、私が中国語の詩を書いてあげよう」 などど重々しく言ってから、渋い顔つきで、おもむろに紙に大きく

「国 破 有 山 河」

とかいて 「しかし残念ながらこれだけしか知らない」 と言ったら、中国人大笑い。しかし、どうも受けた理由は中国語がデタラメだったからのようで 「違う違う、国破山河在だ」 と、たちまち添削されてしまった。

するとそのやりとりを正面に座って眺めていたオーストラリア人のオトコがいきなり割って入ってきて 「オレにもジョークを書かせろ ! 」 というなり … 書いた。


オーストラリアの化学的ジョーク。メルセデス・ベンジン

これも非常に受けた。理科系人間には。

しかしここに中国政府から派遣された女性がおり、彼女だけはその意味を解しないようすである。文化系だったのだろうか。不可解な様子で 「これは何ですか ? どういう意味があるのですか ? 」 とまじめな表情で質問する。 「いやいやいや、そんな深い意味ではないんですよ」 などとごまかそうとしても納得しない。結局、著者のオーストラリア人のとなりに行って説明を求めた。結局、かのオーストラリア人、親切に、なにゆえにこれが 「メルセデス・ベンジン」 なのか、その化学的背景を詳細に解説するのであった。

数分の説明の後に、ようやく中国政府代表の得心を得られたようである。


レストランでトルコの主催者団体の人と

よかったよかった。

というところで Report No.3 へと続く …