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Reports
旅日記


The Story Starts at Hamburg

ヨーロッパ大陸大征服日記

ヨーロッパ大陸をクルマでぐるっと一周走ってみよう !

という旅をふと思い立った …

というところから、この物語は始まります。

そして、その一部始終において見聞したあれこれの写真とレポートを楽しく見ていただければ幸いという趣向です。

そして、この物語のはじまりは、旅の出発地、筆者のアパート (当時) の所在地であったハンブルグとなります。


この旅の最西端の訪問地、ポルトガル・ロカ岬

* * *

というわけで、物語はハンブルグからはじまる …

ハンブルグというのは、ドイツ北部にある人口約 200 万人の都市で、ハンザ自由都市として長い歴史と伝統を持ち、ドイツでは首都ベルリンに次ぐ第二の規模の大都市である。そして 「HSV (ハンブルガー SV)」 という名門サッカーチームがあることでも知られている。

HSV は、ドイツにブンデスリーガというものが創設されて以来、54 年間、一度も下部リーグに落ちたことがない唯一のチームであるとともに、連続無敗 36 試合という輝かしい記録を持ち、ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグを制したこともあるという輝ける伝統をもつ一方で、最近はいつも下位、いや降格圏ぎりぎりの成績というサッカークラブである。特に 2015 年は、ほぼほぼ 「初の二部リーグ落ち ? 」 とサポが覚悟したなか、一部二部の入替え戦第二戦のロスタイムで決まった、奇跡のアウェーゴールのおかげでからくも一部残留という危うさであった。

著名な歴代所属選手は、フランツ・ベッケンバウアー、フェリックス・マガト、ルート・ファン・ニステルローイなど。日本人では、高原直泰、酒井高徳。また、アニメ 「キャプテン翼」 の中では、若林くんが、ジュニアユースからトップチームまで HSV に所属していたことになっている。

しかしそんなことは、この物語にはまったく関係ないのだった。

(後記:2018 年に HSV の初の二部リーグ落ちが決まってしまった。残念)

ということでハナシを戻すと。

ヨーロッパ大陸をぐるっと一周クルマで走るという旅をふと思い立った …

というところから、この物語が始まったのであった。そして、休暇を申請したり、旅の荷物をまとめたりの準備をへて、この旅の相棒、Audi に乗り込むのである。

そして、そこからはるか 「ヨーロッパ一周」 に向けて走り出す … と、思いきや、向かうのはクルマで 10 分ほどのハンブルグ市内にある鉄道の駅であった。

ドイツにはアウトライゼ・ツーク (自動車旅行列車) というものがある。要するに、クルマを積み込んで走る夜行列車である。人間は連接した寝台車に乗り込む。そしてこの体制で、一晩かけて約 800km 南にある、南ドイツのレーラッハという町に向かうのである。


ハンブルグで Autoreise-Zug に乗り込む

えいや ! と気合い一閃、怒濤の如くヨーロッパ大陸を走り回るべきところ、出だしからクルマを列車に載せているというのは、どうも気が引けるところではある。しかし、心配せずともその先に走るべき距離は何千キロもあるのだ。この二週間の休暇の始まる前の晩に、こうやって 800km かせいでおかないと、日数的に予定がかなり厳しくなるし、やむを得ない選択なのだよなあ …

と、言い訳をしているうちにこの日は眠ってしまう。


2nd day, from Loerach to Monaco

まずはモナコへの道

さて、朝、目を覚ますと、すでに列車は、南ドイツののどかな田舎の風景の中を走っている。この日はドイツからモナコまでの移動である。

なおこの Report No.1 での移動経路は、ドイツからモナコを経由してフランス南西部のペルピニャンまで。地図ではこのようになります。

クルマを載せたまま走る列車の洗面台で顔を洗っていると、乗務員が 「朝食を食べますか ? コーヒーは ? 」 とコンパートメントに聞きに来る。これは断固として 「いらない」 と言って断るべきものである。料金に含まれているサービスと勘違いしてあれこれ飲食すると、後で、思いのほか高価な金額を書いたレシートをもった人がお金の徴収にやってくるということを、過去に経験済みなのである。

そうこうしているうちに、列車はレーラッハという小さな田舎町に到着した。ここで、いよいよクルマを列車からおろす。


レーラッハ到着。クルマを列車からおろす

ここはドイツとスイスの国境のすぐ手前である。国境のすぐ向こう、スイス側にはバーゼルという、交通の要所として有名な都市がある。本日の予定は、ここレーラッハを起点に、スイス、イタリア北部を通り抜け、フランスへ入り、地中海沿岸をモナコまで走ってそこで宿泊するというものである。

… というわけで早速ドイツとスイスの国境を越えて、更に南へと向かう。

やがてイタリア国境へと到着した。

さて以下は、以前に同じルートでこのあたりをドライブした、別の旅のハナシなのだが …

そして、それはまだ欧州各国がユーロという共通通貨を導入する前の話である。

この日の目的地はフランス圏のモナコである。イタリア、スイスは、クルマでさぁーっと通り抜けるだけなのである。昼食をスイスで済ませるとすると、イタリアではあまりお金を使う機会はないだろう。つまりイタリアに入国する際のイタリア・リラへの両替はあまり必要なさそうである。それでイタリア・リラは、休憩時間にコーヒーを飲むくらいの金額があれば良いだろう … と思ったのであった。

というわけでコーヒー、プラス軽食代程度の金額をイタリアリラに両替してイタリアのアウトストラーダに乗り込んだ。それで順調にとばして走っていると、はるか向こうに見えるのは …

あやや、なんと高速道路の料金所 ! ではないか。

しまった。完全にそんなものは念頭になかった。

ドイツのアウトバーンはタダである。料金は一切必要ない。当然料金所はない。スイスには高速道路使用税というシステムがあるので無料とはいえないと思うが、いずれにしても料金所はない。

というわけで、イタリアのアウトストラーダには 「料金所」 というものがあることということをすっかり忘れていた。当時はイタリア通貨はリラである。手元のわずかなイタリア・リラで足りるかどうか不明である。が、ここはアウトストラーダだ。カネが足りようが足りまいが数百メートル向こうの料金所を前にして引き返すすべはもはやないのであった。

料金所へと到着。幸いなことに、両替したばかりのイタリア・リラで何とか足りた。しかし、350km 先のフランス国境までこの金額でアウトストラーダを走らせてもらえるとはとても思えない。

不安を胸に更に走ると … あった。次なる料金所が !

もはや手持ちのイタリア・リラは、ほぼない。万事休すだ。財布に入っているのはドイツ・マルクばかりである。仕方なく最終手段として、財布に入っていたドイツ・マルク札を取り出し 「済みませんが … これで何とか … 」 と言いつつ差し出す。すると意外にも料金所の係員、軽く 「OK、OK」 と言ってイタリア・リラに換算してくれた。

何だ、そういうシステムなのであったか。

しかし、このハナシには続きがある。その後、快調にイタリアを通過してフランスへ向かはずだったのだが、途中で大渋滞に巻き込まれてしまったのである。そのため今度は、ガソリンが心許なくなってきてしまったのだ。

やむを得ず、アウトストラーダのサービスエリアのスタンドに飛び込む。もとより現金の持ち合わせはないので、手持ちのクレジットカードを見せてそれで支払いができるか聞いてみるが 「うちはそういうのはダメ ! 」 という冷たい態度である。ユーロチェックという小切手を持っていたのでそれも見せたが相手にしてくれない。

万策つき、立ち去るしかないか … と思いかけたが、ふと気づいて財布に入っていた 100 ドイツマルクを取り出してみる。すると、それを見せるやいなや、ガソリンスタンドのおっさんの態度が変わり、破顔一笑 「OK、OK」 と言いつつイタリア・リラに換算してくれた。

何だそういうシステムなのであったか …

まあ他の国のものであれ現金ならば確か、ということなのだろうと一応納得する。

しかし同じカネとはいえ、ドイツ国内のお店でイタリア人観光客がイタリア・リラを差し出したとして、それを見たドイツ人店員が、破顔一笑 「OK、OK」 というシーンはどうもあまりにも想像しにくいのであるが。

しかし、これも昔の話。今はドイツもイタリアも通貨はユーロである。

上にも書いた通りこれはその前にこのルートを使った旅のハナシであり、時間を元に戻すと、今回は渋滞もなく、まだ明るい時間帯にすんなりとモナコへと到着したのである。フランスとモナコの国境地点で、まずは記念撮影。


モナコに到着したところ。国境の検問などはない

さて、モナコと言えば F1 ! である。

ホテルに向かう前に、F1 グランプリのコースに使用される道をトレースしてまずは一周走る。二周目には、夕暮れのローズ・ホテル手前の海岸線の道に自分のクルマを停めて写真を撮る 。

これを 「至福の時」 と言わずに何と言うことができるだろうか …


こ、これがあこがれのモナコ F1 GP コースだ !

この写真の場所あたりで F1 史上に残るドラマがあったのを思い出す。

1988 年のモナコ GP で、スタートから首位を独走し優勝をほぼ手中にしたはずの天才アイルトン・セナが、レースの終盤にわずかなミスから海岸線のガードレールにヒットして痛恨のリタイアを喫したのである。


参考:セナがリタイアしたシーン。1988 年 モナコ GP

F1 の世界で 「1988 年、モナコのセナ」 という言い方があるそうだ。サルも木から落ちるというか、天才でもミスをするという意味あいだ。それが転じて 「そんな無茶をするな」 という指示になるようだが、つまり、そのくらい有名なシーンなのだ。

さてこの日、モナコでの夕食は海岸線の道路沿いのちょっときどったフランス料理屋であった。しかし困ったことには、そのレストランのメニューにはフランス語の記載しかないのである。

ウェイターが来たので英語であれこれ聞いてみたが、これが全く通じない。これがあきれるほど、本当にまったく何も通じない。仕方ないので、まわりのテーブルを見渡して、おいしそうな料理を物色し 「あのお客さんと同じモノをください」 と英語で言ってみたが、それもさっぱり通じない。

そうこうしているうち、なにやらフランス語と英語の要領を得ない大声での会話となってしまった。最後に 「あそこのお客さんと同じモノが食べたいのか ? 」 とウェイターがフランス語で言ったようだったので 「ウイ」 と力強く答えたら納得してくれた。

しかし、その時にはレストラン中の客が全員こちらを見て、そのやりとりを注目しているのであった。笑いながら ! 当の 「あのお客さん」 本人も含めて …

そして、出てきた料理は、その隣のお客さんが食べていたモノなのであった。


3rd day, from Monaco to Perpignan

本場マルセイユのブイヤベースを食す

朝、モナコを出発し、南フランスのいわゆるプロヴァンス地方を、一路西へクルマを走らせる。

ゴッホの絵で有名なアルルへと到着するが、街道沿いの露天の果物屋に飛び込んでネクタリンというすっぱい小さいモモのようなクダモノをしこたま買い込んだだけで、またクルマに乗り込む。そのネクタリンをカワごと車中でかじりながら、更に西へと向かう。


南プロヴァンスの街道沿いの果実店にて

あらかじめ 「昼食はここ」 と決めておいたマルセイユという都市に午後の早い時間に到着する。ラ・マルセイエーズという歌も有名だが、それよりもここは、ブイヤベース発祥の地という方が重要であろう。


これが本場のブイヤベースである

本家ブイヤベースを堪能した後、更に西へ西へと向かう。

この日、できればフランスとスペインの国境まで行ければ、と思っていたが、そのやや手前、フランスのペルピニャンという町のあたりで陽が暮れてしまい、ホテルを探して泊まることにする。ホテルの近くの名もないビーチへと散歩する。大変美しい海が印象的であった。


夕暮れどきのペルピニャンのビーチにて

というところで Report No.2 へと続く …