トップページへ戻る Photographs Leica & Rollei from Europe from the World Who is the photographer?

Reports
旅日記


4th day & 5th day, Barcerona & Alikante

スペイン紀行

さてヨーロッパ一周の旅も、この日で四日め。そして旅はいよいよスペインに入って行くのである。

なおこの Report No.2 での移動経路は、南フランスからスペインを経由してポルトガルに入るまで。地図ではこのようになります。

さて、この日は、南フランスのペルピニャンを出発して、スペインにむかってどんどんクルマを走らせる。フランスとスペインの国境を越えてスペインの最初の目的地、バルセロナにむかうのである。

バルセロナとはどのようなところか ? 何を見たのか ?

… については、書き出すと長くなるので省略。ガウディ建築のサグラダファミリア教会の前で記念撮影をしたりして、この日はバルセロナに宿泊。


サグラダファミリア教会の前で記念撮影

翌朝、バルセロナのホテルから南にむけて出発する。

この日は、スペインの東海岸をひたすら南下するドライブとなるのである。そして、このあたりから日差しが強くなり猛然と暑くなってくるのを痛感するようになった。あまりに暑いので、アリカンテというリゾート地のビーチで一休みしたら、魅力的な海沿いのホテルが眼に入った。それで、この日はそのまま海沿いのホテルに泊まることにするのであった。

さて、スペインを旅行する際にひとつ大変喜ばしいことがある。それは、メシが安くてうまい ! というシンプルなことである。

まずは何と言っても、スペイン料理を代表する、海の幸いっぱいの炊き込みごはんであるパエリアは 「東の大横綱」 と呼ばれるべきゴチソウであろう。本場のこれは実に美味であり、かつ日本人の口に合う。何しろ、食材は地元地中海の新鮮な魚介類なのだから。海の幸の種類も豊富で、タコのフライなども絶妙の歯ごたえがある。また素材が良いせいで、地元の人が行くような大衆的な料理屋ならばどこへ入ってもハズレがないのも嬉しい。

ということでこのあたり、食事は毎日スペイン大衆料理屋なのであった。


6th day, from Alikante to Granada

スペイン紀行 その 2

この日も、前日のつづきで、スペインの東海岸をひたすら南下して、南スペイン・アンダルシア地方をめざすのである。

さてそれではここらへんで、我らが Audi 大征服号の様子はどうかということもレポートしておこう。このクルマ、さすがにドイツ生まれらしく、長距離をひたすら駆け抜けるような走り方はまさに得意とするところである。

しかしその一方で、イタリア 〜 フランス 〜 スペインと移動してくるに従い外気温がどんどん高まってきた。ついにそれが 30度を超えるあたりで、北ドイツの街から来たこのクルマには、大きな弱点があることを露呈しはじめていた。

要するに何が問題かというと 「エアコン」 という装備がないのである。

ここでドイツでのクルマの買い方の説明が必要かも知れない。ドイツではカタログプライスでクルマを購入すると、快適装備は一切ついていない。オーディオやラジオもオプション扱いである。当然、エアコンなどというものはついていない。

更に、このクルマを購入する際には予算の制約というモノがあり、走りに関係ない軟弱なものは断然 「なし」 で済ますことにしたのである。そのせいで、パワーステアリングというものもない。これは気合いと腕力でカバーするはずになっているのだが、やはりステアリングは重い (何しろ 2 リッタークラスの FF 車なのだ)。

という中、暑い暑いと言いつつ、南スペインのグラナダという町に到着。

グラナダにはアルハンブラ宮殿という超有名観光地があり、何だかそういう題名の曲があったような気がするなあと思いつつ見て回る。

この日はそのままグラナダで泊。


これが、アルハンブラ宮殿


7th day, from Granada to Algeciras

スペイン紀行 その 3

グラナダを出て 「白い町」 と呼ばれる観光地、ミハスに立ち寄った後、スペインの最南端にあたる、アルヘシラスという港へと到着する。

この港町は、ジブラルタル海峡を横断してアフリカ大陸へと渡るフェリーが発着することで有名。地理的にアフリカ大陸までわずか 30km という至近距離なのだ。

というわけで、とりあえずはアルヘシラスのシンボルとも言うべき港を見学することにする。港の近くへ行き路上駐車のスペースを探していると、小柄なおっさんがそれを察したらしく 「ここに駐車スペースがあるぞ」 という感じで手招きしてくれた。首尾良くその場所にクルマを停め、礼を言って立ち去ろうとすると、どうもそういうものではないらしい。

「駐車料金をくれ」 と言うではないか。

「何で、公道にクルマを停めるのに、あんたに駐車料金を払う必要があるのだ ? 」 というと、そのおっさんが言うことには …

「君は旅行者だから知らないだろうが、このあたりには悪いヤツが多い。クルマにキズをつけられてしまう事件が最近多いのだよ。しかし君はラッキーだった。オレに少しカネを払えば OK だから。ここでオレがクルマを見ていて悪いヤツが来たら追っ払ってやるから」

これは実に鋭い論理展開であり、ひしひしと説得力を感じた。要するにカネを払わないと、このオトコが自らコイン片手の 「悪いヤツ」 に早変わりしてしまうというのが火を見るより明らかではないか。時間もないし、ここではない別の場所に停めたとしても、何かの拍子にそれがうっかり見つかれば何をされるかわからない。

というわけで、向こうは 2000 円、こちらは 100 円から、路上駐車料金の交渉が始まった。が、結局は 700 円で手を打つことにする。

約一時間後、港を見学して出てくると、クルマを見張っているはずのこのオトコはもちろんどこかに行ってしまっていなかった。どうも心配な気分なので、その後は、ホテルの地下の駐車場にクルマを停めておくことにする。


8th day, the tour to Africa

アフリカ大陸へ

さて、実はアルヘシラスからは 「船で行くアフリカ大陸日帰りツアー」 というものが、毎朝出ているというのをガイド本で読んできたのである。

「アフリカへ ? 日帰り旅行 ? 」 何と魅力的な体験ではないか ! と、その情報を見た瞬間から絶対にここには行かねばなるまいと思わずにはいられなかった。

宿泊したホテルのフロントの人に、そういうツアーについて知っているか ? と訪ねると、ハナシが早いことに、まさにその場で申し込みができるとのこと。そういう訳で、この日はクルマはホテルに置いたまま、船で行くアフリカツアーに参加することになるのである。

これはまあ、何とも貴重な体験であった。


アフリカの子供たちの笑顔を見よ

夜、ヨーロッパに戻って、アルヘシラスで宿泊。


9th day, Sevilla

スペイン紀行 その 4

朝、アルヘシラスを出発。一路北上してセビリアへと向かう。ちなみに、ここはオペラの 「カルメン」 の舞台の街として有名なところである。

セビリアに到着し、まずはホテルを探す。しかしなかなか見つからない。苦労した末、やっと見つけたホテルは、部屋にはハダカ電球が一つ、トイレは共同で、なおかつカギが壊れていて閉まらないという最低のところであった。が、他に選択肢がないので仕方ない。まあそれはともあれ、それでも一応ホテルが確保できたので、セビリア見物へと向かう。

それにしてもひたすら暑い。

このセビリアという町は 「アンダルシアのフライパン」 という異名をとるように、夏、猛然と暑いことで有名なところなのである。この日も午前中で既に 35 度という猛暑である。

なので、この日のセビリアの思い出も、ひたすらに暑かったということなのであった。そして、連日の猛暑の中でクルマにエアコンがない状態で走り回った上に、更にこの日は炎天下を歩き回ったので、すっかり暑さににやられてしまった。夕食は、何かできるだけさっぱりしたものが食べたいという気分である。

さて、そこでふと見つけたのは、本格的高級和食レストランであった。

あまりの暑さに、ふらふらとその和食レストランへと入る。

しかし !

メニューを見てびっくり !

「松花堂弁当」 に何と日本円換算で 5000 円以上のプライスがついているのだ !

しかし。

その超高価な松花堂弁当は、もうしみじみと五臓六腑に染み渡るようにおいしかった。一時であれ、スペイン料理がうまいなどと思ったのは実に浅薄な考えであったと思い知らされる気分であった。

つまりはこういうことだ。

この超絶美味高級和食レストランの所在地は、実は、そのとき開催されていた 「セビリア万国博覧会」 の日本パビリオンの中なのであった。つまり、日本の食文化の伝統を、いかんなく伝えるという重大な使命を担っていたのである。そして、その重大な使命を果たすため、わざわざ銀座の一流料亭から板前を招いたのだ。当然のことながら、出すモノ出すモノすべて、ある意味南スペインという地においては不必要なほど、超本格的である。値段が非常に高いのは食材や調理法において一切の妥協を廃したためであろう

その高レベル本格料亭式日本料理が、猛暑の中で五、六日連続でスペイン大衆料理をたたき込んだ胃袋に送り込まれたのだ。

結果は推して知るべしである。

ということで、何がおきたかと言うと、この日をもってスペイン大衆料理の評価が一挙に下落し、訪れた先で日本料理屋があるとすかさずそこに入るという徹底的固陋的な和食主義者と化してしまうのであった。


これが、そのセビリア万博の日本パビリオン


10th day, from Sevilla to Portugal

ポルトガルに独逸人がいた話

さてその翌朝、セビリアの闘牛場のタテモノを見に行く。

闘牛自体は興味なくても、セビリアには、是非とも見るべき有名な闘牛場があるのである。つまり、日本の高校野球ファンに例えれば、聖地、甲子園に相当するような名門の闘牛場がここにあるのだ。


セビリアの風景と言えば … 闘牛場

その後、西へ向かってクルマを走らせ、スペインとポルトガルの国境を越える。

さてポルトガル南岸の海岸沿いを走っていると、実に魅惑的な ★★★★ のリゾートホテルが見えてきた。基本的には ★ などは二つもあるとぜいたくだと思う方なのだが、昨日の最悪ボロホテル (安いことは安かった) の反動がでて、今日は是非とも良いホテルへ ! という気分だったので、そこに泊まることする。

というわけで、この日の午後は、しばしリゾート気分にひたることになるのである。しかしこのホテル、滞在数時間で気づいたのだが、他の宿泊客は全員ドイツ人のようである。どうもドイツ人ツアー御用達ホテルに飛び込んでしまったらしい …

しばしビーチでくつろいだ後、そんなことは忘れて夕食を取りにホテルの近くのレストランに入る。するといきなり何の躊躇もなくウェイターに 「グーテン・アーベント」 と言われてしまった。

席に座り、試しにこちらもドイツ語で 「シュパイゼカルテ・ビッテ ? 」 (メニューを持ってきてください=ドイツ語) というと、即座に 「アイネン・モーメント」 (少々お待ちください=ドイツ語) と言われる。ウェイターが持ってきたメニューは当然のようにドイツ語である。

ここはどこだ、ポルトガルではなかったのか ?

カネと休みにモノを言わせたドイツ人観光客が大挙して押し寄せて、そのあたりを占領してしまっているようであった。かてて加えて、ドイツ人は、地球上どこでもドイツ語で押し通せると思っている傾向がある気がする。ドイツ人パワー、恐るべし。

というところで Report No.3 へと続く …