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Reports
旅日記


The Story Starts at Hamburg

イタリア半島を大征服

「イタリア半島へ行ってみたい ! 」

と思われる方は、けっこう多いのではないだろうか ?

クルマ好きにとっても、グルメのみなさんにとっても、美術鑑賞愛好家にとっても、もちろん旅好き人間にとっても、イタリア半島は遙か 「あこがれの地」 と呼ぶにふさわしい。(少なくとも 「房総半島」 よりは)

是非とも行かねばなるまい。イタリアには。

というわけで、今回の主役はイタリア半島である。

北ドイツからイタリア半島を縦断して、更に返すカタナでマフィアでおなじみのシチリア島に乗り込み、また半島に戻ってイタリアをココロゆくまで走り回って堪能してしまおうという 「イタリア半島大征服」 が、ここから始まるのである。

そして、ここでは、その一部始終において見聞したあれこれの中から、有益な情報はいっさい排除し、まったく、ぜんぜん何も役に立たない取るに足らぬエポックのみを厳選し、写真つきでまとめたレポートを紹介しております。そして、この物語のはじまりは、旅の出発地、筆者のアパート (当時) の所在地であったハンブルグとなります。

なおこの Report No.1 での移動経路は、ドイツからスイスを経由して中部イタリアのアッシジに至るまで。地図ではこのようになります。

さてそういうわけで、ハンブルグのアパートの地下ガレージである。

Audi 大征服号のエンジンに火を入れて出発し、その日は、約 500km ほど南の中部ドイツ、フランクフルトの隣町であるオッフェンバッハというところまで移動して、そこのホテルで宿泊したのである。

そしてその翌朝、オッフェンバッハから、さらに南に向かうアウトバーンに乗り込む。

と言いつつも、この日はイタリアにはまだ入らず、目指すはスイス・アルプスのマイエンフェルトなのであった。

子供のころ 「アルプスの少女ハイジ」 を見ていた人は 「マイエンフェルト」 という地名を記憶しておられるかもしれない。

「アルプスの少女ハイジ」 というのは日本のアニメだが、その原作はスイスのヨハンナ・スピリという人が書いた 「Heidi」 という、ヨーロッパで広く読まれている有名な児童文学書なのである。なお余談だが、あの宮崎駿のアニメは、それはそれでヨーロッパ人に意外とよく知られている。それを作ったのが日本人だと聞いて、むしろそちらの方を 「おお、それは意外。あの Heidi の TV 版の作者は何で日本人なの ? 」 というヨーロッパ人も多い。

そちらの方がまっとうな疑問のような気もする。

話が多少ずれたが、要するにこの日は、その架空のハイジという少女がが住んでいたことになっている場所が目的地なのである。

正確には、ハイジが住んでいたのはアルムの山の上なので、その最寄りの町がマイエンフェルトという位置関係になる。しかしハイジがフランクフルトのクララの家に行くシーンでは、このマイエンフェルトの駅から汽車に乗り込む姿が克明に描写されているのである。


これがマイエンフェルト駅

ハイジがフランクフルト行きの汽車に乗ったマイエンフェルト駅にクルマを停めて写真を撮る。

午後遅くマイエンフェルトに到着。あらかじめ予約しておいた、その名も 「ハイジホフ」 というアルムの山のふもとにあるペンションに宿をとる。


3rd day, Swissland

まだイタリア半島にたどりつかない

「イタリア大征服」 なのになかなか目的地のイタリアにたどりつかなくて恐縮だが、この日もスイスである。やはり 「ハイジのふるさと」 にはるばるやって来たのだからと、アルムの山を散策する。その写真をご覧下さい。

思わず 「♪ くちぶえはなぜ〜 ♪」 という気分。


ハイジホフの近くで見つけたアルプス的風景を …

上の写真は 「ハイジホフ」 のすぐそばで撮影したもの。


マイエンフェルトで見かけた気になる風景

この日の午後はアルムの山の道を散歩。上は、その散歩の途中の写真である。


4th day & 5th day, from Swisssland to Italy

イタリアのサンフランシスコ ?

さて早いもので、まだスイスなのに、この旅ももう四日めとなってしまった。

というわけで、いよいよ国境を越えて、イタリアへと入っていくのである。


ようやく、スイス・イタリアの国境に到着

イタリアではまずはボローニャを訪問。その後、シエナという町を訪れたあと 「聖フランチェスコ大寺院」 という有名な教会がある、中部イタリアの古都、アッシジへとやってきた。

アッシジという町は山の上にある。下界から山にのぼると、山の頂に突然、中世そのままの古い石造りの古い町並みが広がる。非常に印象的である。しかし、その中世ヨーロッパの古い建物の間を歩いていたら、突然目の前に大きく

「サンフランシスコはこちら →」

と場違いなことを書いた看板が眼に飛び込んできた。

サンフランシスコ ? 重々しく歴史深い、山の頂にあるヨーロッパの中世の街並みの中で、アメリカのウェストコーストの 「サンフランシスコ」 という看板を見るのはいかにも場違いな気がするのだった。

しかし、よく見ると、実はそれは、聖フランチェスコ (San Francesco) 大寺院への行き先表示なのである。

まあ、モノの本によれば、要するに、この二つのよく似た言葉の語源は同じなのだ。つまりアメリカの、あの良く知られているウエストコーストの都市名は、イタリア語の 「聖フランチェスコ」 なのである。

だからこちらが、本場のサンフランシスコ。はるばる来たぜサンフランシスコ。違うか。


中部イタリアの古都、アッシジ夕景

というところで Report No.2 へと続くのであった …