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Reports
旅日記


Story of 9 November 1989

ベルリンの壁

雪のベルリン行きのちょうど一年後の、やはり 11 月某日のこと。

世界の歴史を変えた 「その日」 は、なんだかとーとつにやってきた …

いつものように、朝、ハンブルグの仕事場に顔をだす。すると、なんだかいつもと様子が違う。オフィス全体が異様にざわざわしているのだ。さっそくドイツ人の同僚をつかまえてわけをきく。

すると、そのオトコが言った。

「え ? まだ知らないのか ? そうか、オマエはどうせドイツ語の新聞や TV ニュースなんて見てないな。日本から送ってくるトーキョータイムスばかり見てないで、少しはドイツ語の新聞も見たらどうだ。こっちの方がおもしろいぞ」 とのこと。「ほっといてくれ。知らないだろうけど、日本語の新聞はドイツでも売っていてふつうに買えるの。それにトーキョータイムスなんて新聞、ないよ。それで ? 」

で、信じ難いことだが …

「ベルリンの壁が崩壊したのだ ! 」

しかし、その時点では詳しい状況ははっきりしない。

昨晩、東ドイツ議会が招集されたようだ。そこで、今後は東ドイツ国民の、合法的な西ドイツへの渡航を許すことが決定されたということらしい。そしてその夜遅く、ウワサを聞きつけた何千、何万の東ベルリン市民がどどどーとベルリンの壁に押し寄せた。そして壁をどんどん乗り越えて西側へ来てしまったらしい。そればかりでなく一部で壁をたたき壊すヤカラまでいたが、何のオトガメもなかったということなのである。

しかし全くもって信じがたいことであった。当時は。

「しかしそういうことならとにかく」 とさっそく日本人の友人と話す。

「我々もベルリンに行くしかなかろう」

まあ簡単に言えばヤジウマだ。簡単に言わなくてもそうか。仲間内きっての長距離ランナーである 「Audi 大征服号」 とその専属ドライバー (自分のこと) に出動要請が出た。で、友人数名とベルリンへ向かうことになったのはベルリンの壁崩壊の翌週末のことであった。

もちろん、合法的な渡航が許されたからといって、パスポートも見せずに国境のフェンスを勝手に乗り越えていいわけがない。ベルリンの壁にしても、勝手にハシゴをかけて登ったりしてはいけなかったのだ。しかし、わけもわからないうちに大勢の人が壁におしよせて、あれよあれよという間に壁を越えて行ってしまったというわけだ。あの晩は。

我々がハンブルグからベルリンに行くにあたっても、東ドイツにいったん入国する以上は、国境の検問所でビザを取得しなければならない。そのあたりはこれまでと全く変わりはないのだ。

で、ハンブルグを出発、アウトバーンを東南方面に走ること 40 分、東ドイツの検問所へと到着。

東独の検問所で係員にパスポートを提出する。係員が真剣な顔で、クルマの中の我々の顔と、パスポートをしばらくじっと見比べる。そしてパスポートに眼を落としたまま 「ハンブルグに住んでいる日本人なのか ? 」 とひとこと。

「そう、我々はハンブルグからきてベルリンに行くのだ」 と答えると …

その瞬間、係員の眼がこちらを向いた。

そしてその優しい青い眼は、もはや凶眼サメ眼ではなかった。

「実はこんど休みをもらったら …」 と、少しはにかんだようにそのオトコは言った。「ハンブルグへ行って日本製のカメラを買おうと思うんだ。日本製のカメラは評判いいからね。カメラを安く買える店を教えてくれないか ? 」

「 ! ! ! 」

これがあの、凶眼サメ眼直立不動だった東側官憲 ? そうかヤツらも … と思う。 立場が違っただけで同じ人間だったのだ。一瞬、声が出ない。よく見るとまだ 20 歳そこそこの初々しい青年である。きっと写真が大好きなのだろう。

そのとき確かにベルリンの壁が崩れた音が聞こえた、ような気がした。

しかしそうとなればこちらもカメラ好きである。数分ほど、オススメの日本製カメラと、ハンブルグのカメラ店事情について談笑するのであった。その間、後続車の皆さんはずっと文句も言わずじっと待っておりました。国境の検問で、東洋人グループが、何かもめているように見えたんでしょう。

そしてその後、検問所を通過した我々の見たものは、スズナリになって西側のハンブルグへ向かう対向車線の東独車トラバントの長蛇の列であった。

今回は積雪もなく二時間ほどでベルリンに到着。さっそくベルリンの壁崩壊の象徴ともいうべき、ブランデンブルグ門へと向かう。クロヤマの人だかりだ。CNN はじめ、何台も TV の中継車が出ている。まあ当時の西ベルリン、ブランデンブルグ門の前の喧噪については、ニュース映像として世界に配信されたし、それを見た記憶のある方も多いのではないだろうか。まさにその光景が眼前に展開されていたのである。

ブランデンブルグ門で壁崩壊を歓ぶベルリン市民

ハンマーでベルリンの壁をたたき壊しているオトコがあちこちにいる。崩したものの大きすぎて彼らが持って帰らなかったコンクリートの固まりを拾う。それを自分たちで何回も壁にぶつけて、握りこぶしくらいの大きさに崩したものを持ち帰ることにするのであった。

ひたすら壁を壊しているオトコがいた

こうして入手した歴史の証人ともいうべき記念品は、しかし今となって客観的にみると、まあ要するにそのへんの工事現場にころがっているような、少しペンキの付着したコンクリートのカタマリである。最近は、廃棄処分の危機にされされたりもしている。

まあそれだけ、あの事件からも時間がたったということか …

… というわけで、ベルリンの壁崩壊を見に行った編はこのあたりでおしまいなのである。

壁崩壊も見たし、破片も入手した。そして何よりも国境の東側係員と談笑してしまった。歴史が変わるのを身近に実感するなんて人生の中で何回もないだろう。なんだか非常に満足した気分でふたたび Audi に乗り込み、ハンブルグへの帰路についたという一日であった。

ベルリンを出発するところ。東独のクルマが隣に

怒濤の東西ベルリンをめぐるこの物語は Report No.3 へと続く。