チェックポイント・チャーリーから、ブランデンブルグ門へと向けての数キロの道のりを徒歩で移動。いつもは西側から直接ブランデンブルグ門へ来るところを、今回は南からぐるっと回って東側からアプローチしているというわけだ。壁がなければ、ブランデンブルグ門の下をくぐってベルリン東西を結ぶことになるはずの大通りは、西ベルリンでは 「6 月 17 日通り」 という、政治的なデモのあった日が通りの名前になっている。が、壁を隔てて門の東側は 「ウンター・デン・リンデン通り」 という。菩提樹の下の道という優雅な名前である。
分裂前の旧ベルリンの象徴ともいうべき大通りの名称としては、もちろんこちらの方がずっとユイショがあるのだ。
しばし 「菩提樹の下の道」 と 「東側から見るブランデンブルグ門」 の風景を堪能する …
その後、ブランデンブルグ門から、更に徒歩で北へ向かう。するとあたりはアパート街となる。全てが昔のままというか本当に時間が止まってしまっているような、不思議な感じがする一帯なのである。
余談ではあるが、このあたりに 「森鴎外が留学時代に住んでいたアパート」 というのがある。鴎外が住んでいた一室だけが、小さな記念館になっているのだ。このアパートは、しかし、その街に並ぶタテモノとしては、全く実に何の変哲もないという感じある。もちろん今でも現役のアパートである。
森鴎外と言えば明治中期を代表する文豪で、そのベルリン留学は百数十年前であろう。(ちなみに、この留学は 「舞姫」 という小説の題材になっている)
その、鴎外が百数十年まえに住んでいたというアパートが、このあたりで普通に現役で使われているアパート群の平凡なひとつなのである。ちなみにここは、東とはいえ、堂々たる 「ドイツの首都」 であるベルリンの中心部である。日本で言えば東京都心である。東京の都心部が、明治時代から現代まで、あたりまえのようにほとんど眺めが変わっていないというのを想像できるだろうか ? 実にありえないことではあるなあ、と思う。
さてブランデンブルグ門からさらに北へ移動して、フリードリッヒ通りの検問所へと到着。ここで国境を越えて、また西ベルリンへと戻るのである。
フリードリッヒ通りの検問所から西側に出て、ぐるっと回り込むように徒歩で南へ向かい、またブランデンブルグ門へと向かう。今度は門を西側から見るのである。さきほどいたところから数十メートルの距離なのに、ずいぶん大回りしなければならないモノだ … まあしかし、壁解放直前には、東ベルリン → チェコ → ハンガリー → オーストリア → 西ドイツと、東欧をぐる〜っと半周して、東ベルリンから西ベルリンへ逃げてきた人も多いので文句は言えないのだが …
さて、そういうわけでブランデンブルグ門に到着。そしてそこで我々が見たものは何か。
ベルリンの壁の解体現場なのであった。
このあたり壁の厚さは 2m 以上あり、またかなりしっかり作られたモノのようで一朝一夕に壊せるものではないようだ。が、かなり解体が進んでいる。
壊れかけた壁の前で感慨にふける …