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旅日記


Story of 3 October 1990

最終回:ドイツ統一の日

この日の未明、まだ暗いアウトバーンをベルリンに向かって走っていた …

今日は 1990 年 10 月 3 日 「ドイツ統一の日」 である。しかし何故に 「未明、まだ暗い」 という時間帯なのか ?

ドイツ統一の日の前日、つまり昨日の夕方から 「前夜祭」 がベルリンのブランデンブルグ門の前で大々的に開催されていたのである。もちろん本来であれば、その前夜祭のどんちゃんさわぎをを見に行きたいところではあった。

しかし …

問題がある。その日は平日なのだ。ちなみにドイツ統一の日自体も本来は平日 (水曜日) だったのだが、急遽 「ドイツ統一の日」 という国民の休日となったのである。

しかし残念ながら 「ドイツ統一の日の前日」 まで国民の祝日にするというわけには行かない。つまりその日は、社会人は仕事をせねばならんのである。そしてその仕事は、ドイツ統一だから … というような安直な理由で休めるような状況ではなかった。

オフィスで

「おーい。あれ ? この忙しいなか、あいつ今日いないの ? どこ行った ? 」
「彼は、ドイツ統一を見に行きました」
「なにい ? 」

というようなことになる、という状況はあまり好ましくないのである。

というわけでドイツ統一の前夜のどんちゃん騒ぎは TV で見ることにした。夜、アパートに帰り、TV をつける。すると、当然のようにどのチャンネルもドイツ統一特集である。その中でも国営放送に敬意を表して、そのチャンネルを見ることにする。

さて、ドイツ国営放送の番組にはひとつ大きな特徴がある。それは何かというと、ドイツ人の気質を反映して 「討議」 の時間がやけに多いのだ。良い場面で、突然 6 〜 7 人のオトコたちがテーブルを囲んでいる画像に切り替わる。そして今のできごとについて、ドイツ語での討議を始めるのである。で、その討議が頻繁に起こり、また、容易には終わらない。TV で、マジメな討議ばかり見せてもおもしろくないだろうなあとは考えてないだろうか ? と思う瞬間である。

おそらく、そのようなことはぜんぜん考えたこともないのだろう …

この日も、だいたいの感じとして、「前夜祭の模様 (10 分)」→「それについての討議(15 分)」→「政治家の会見 (5 分)」→「それについての討議 (30 分)」 というような感じで番組は進行していった。

まったく余談で申し訳ないが、ドイツ国営放送は、例えばオリンピック中継番組などでもこのスタイルを好む。そしてそれは、非ドイツ人の視聴者の興を、一挙にそぎ落としてしまうパワーをもっている。「水泳の中継 (10 分)」→「それについての討議 (15 分)」→「体操の中継 (20 分)」→「それについての討議 (30 分)」 というような具合である。

まあそれはこの際、ぜんぜん関係ないのだけど。

ドイツ国営放送で放送されたドイツ統一のカウントダウン中継

そして前夜祭は進行し、コール首相が統一を宣言して、午前 0 時を期して花火が盛大に打ち上げられた。そしてその後、スタジオでそれに関する討議がひとしきりあったあと、深夜になって特集番組も終了することになった。スタジオでアナウンサーが視聴者に別れを告げる。が、まだ前夜祭会場は大騒ぎ状態のようである。そして TV が終わった。

これで本当に、ドイツは統一されてしまった。もう東ドイツも西ドイツもないのだ …

深い感慨をおぼえ 「これは」 と思わずつぶやいた。

「いまから、ベルリンに行くしかない ! 」

というわけで深夜、とつじょクルマにとびのってベルリンを目指したのである。

ベルリンのブランデンブルグ門前に到着したのは、もう 「早朝」 というような時間帯であった。その時間には、さすがに前夜祭の大騒ぎをした人波も引けていた。また、まだ統一の日の人混みも始まる前で、意外とシンとした雰囲気のなか、ブランデンブルグ門は荘厳にそびえたっていたのである。

そして、まあこの日は、ドイツ統一式典の会場であるベルリン・フィルハーモニーホールを外から見たり、国会議事堂に特大のドイツ国旗が掲揚されているのを見たり、そのへんのドイツ人と、統一しちゃったねえなどと話したり、マーチングバンドの演奏を見たりした、というようなことがあった一日なのであった。

しかし、前夜祭のどんちゃん騒ぎとはうってかわって、ドイツ統一の日のブランデンブルグ門にあつまった人々は言葉少なに歩いていたように見えた …

統一の朝のブランデンブルグ門

上の写真はブランデンブルグ門の西側を統一の日に撮影したものである。以前には、この写真の撮影地点と門の間にベルリンの壁があったのだ (道路の色が変わっているところが壁の位置である)。

参考写真 1: 壁ありし日のブランデンブルグ門

参考写真 2: ベルリンの壁解体作業現場で撮影

「ドイツ統一」 とは何だったのかについて少しは書いてみたい。というのは、東ドイツと西ドイツがくっついて統一ドイツになった、という一般的な理解は、実は正しくないのだ。

実際におきたことは …

・ ドイツ民主共和国 (東ドイツ) が国家の機能を停止し五つの州に分裂
・ その五州がそれぞれドイツ連邦 (西ドイツ) への加盟を申請
・ ドイツ連邦の憲法に基づき東地域五州の加盟を許可

というようなことであったのだ。つまり東ドイツは解体された上で、その領土と国民がまるごとドイツ連邦 (西ドイツ) に吸収されてしまった、というわけなのであった。

つまり、東ドイツ人だった人々は、たった数時間前に、自分たちが生まれ育った 「祖国」 が、きれいさっぱりと消えてしまったという状況であった。そして西ドイツと言われた地域の人々にとっても、この日はインフラの遅れている東地域の復興のための苦労をともにしなければならないという厳しい現実が始まる、最初の日であったのだ。それは具体的に、すぐに 「増税」 というような形で現実化されることが、もうわかっていた …

そしてそれはドイツ社会にお世話になっている限りは誰でも、つまり当時そこに住み働いていた自分も含めて、同じように負担しなければならないモノであった。

まあしかしそれはともあれ、こうしてドイツは統一されたのである。あの東西の冷戦のシンボル、ベルリンの壁も消えてなくなった。やはりあれは、誰かが叩き壊さなければならなかったのだ、と思う。

そうして秋の澄みとおった快晴の空の下、歴史に残る大きなことをなしとげたドイツの未来に乾杯したいような、実にハレバレとした気分でベルリンの街を歩いていた。

今でも、この日のベルリンを見ておいて良かったと思う。一睡もしていない徹夜明けだったんですけどね …

というわけで、この、東西ベルリン物語もこれで終わりです。では。


使用撮影機材: Olympus OM-2N, OM-4Ti